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小説家横光利一は俳句が好きだった。俳句的表現手法を小説にも使ったし、「新感覚派」と呼ばれる彼のモダンな映像的手法の小説は、逆に俳句界にも影響を与えた。ときは新興俳句が興る時機と符合している。十日会という句会を作ったが、石田波郷はその仲間であった。横光の俳弟子であったと言ってもよい。学資まで出してくれた水原秋櫻子の元を離れた波郷が、しかし、無季・口語化を指向する新興俳句派と一線を劃し、韻律を重要視したのは横光の影響であると言われている。 その横光の一句は、何と言っても 蟻臺上に餓えて月高し である。終戦直後、戦犯文学者扱いを受け、評価は一時地に堕ちたが、二、三十年前からまた評価され始めた。私の記憶では中学の国語の教科書に、「特別急行列車は満員のまま全速力で駆けていた。沿線の小駅は石のように黙殺された」という一文があり、新鮮な表現手法に魅せられたものだった。 中田雅敏の『横光利一―文学と俳句』には、彼の俳句三百以上が集められている。その中から私が選んだ句を掲げる。 オリオンを直上にさす雛祭 廻廊の雨したたかに白椿 白藤や頬ばれひかぬ奈良二日 花冷や目薬をさす夕ごころ 春の水喪の家の横を曲りゆく 春の夜の月さまざまな水明り 桜散りて国遠ざかる海路かな 喜べる人みな桃の咲くを言ふ 炎天に馬あれつのる峠かな 栗の花ときをり思ふ人もあり 静脈の浮き上り来る酷暑かな 夏の夜や夜通し落ちる花の音 水垢離の背なより明くる師走空 横綱と顔を洗ふや冬の宿 衣更はるかに椰子の傾ける まるまると陽を吸ひ落す砂漠かな 何となく芭蕉の影響を感じないだろうか。彼は、一時芭蕉の末裔であると信じ、芭蕉俳句をこよなく愛した。久保田万太郎の匂いのする句もある。料亭はせ川でよく会っていたようだ。文学の上では、川端康成との盟友関係があった。康成も俳句をものしたが、句数は横光の方が圧倒的に多い。 昭和二十二年十二月三十日、横光が生涯を閉じたとき、康成は丁重な弔辞を述べ、波郷は弔句を贈った。 「横光君、僕は日本の山河を魂として君の後を生きてゆく」 康成 遠き寒く病弟子われも黙祷す 波郷 |
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