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help リーダーに追加 RSS 俳句漫評8 中村吉右衛門と新井旅館

<<   作成日時 : 2008/06/23 07:43   >>

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 初代中村吉右衛門は幸四郎の祖父、松たか子の曽祖父である、といえば身近に聞こえるだろうか。歌舞伎「熊谷」などが有名で、悲劇の主人公をやらせたら右に出る役者はほかにいなかったという。
 吉右衛門はホトトギスに属し、同人として句集を三冊上梓している。俳号は秀山。当然、役者としての句がある。

   雪の日や雪のせりふを口ずさむ

 吉右衛門は修善寺の「新井旅館」に縁があることを知った。新井旅館は昔から著名な文人・画家・俳人などが逗留したことで知られている。何年か前、名刹修禅寺や頼朝の弟範頼と息頼家とが最期をとげたこの地を訪ねたくなり、立ち寄ったことがある。そこに格調ある旅館があったので覗いてみたら、大観や靫彦の書画が展示してあった。ここに吉右衛門も逗留していたようだ。句を残してはいないだろうか。再び訪ねてみることにした。
 狩野川沿いから修善寺温泉街の方へ折れてしばらく行くと、桂川に沿って道は狭くなり、昔ながらの温泉街に入る。赤い渡月橋を左に、修禅寺を右にみて進むと、すぐに新井旅館である。宿の人に、吉右衛門のことを知りたいのだが、と話すと担当の女性が出てきてくれた。
新井旅館が国の登録有形文化財となったのを機に、文化財の保存継承・地域文化活動のためのNPO「靫彦・沐芳会」が結成され、横山大観・前田青邨・今村紫紅・小林古径・安田靫彦らの三百点におよぶ書画・書簡と、さらに二百点ほどの未整理の作品の管理と公開活動を行うこととなったそうだ。その一環として、一般客をも対象とした館内ガイドが毎日行われているという。
 早速参加してみた。客は五人。宿の女性職員が説明してくれた。横山大観のために三代目の当主相原寛太郎(雅号沐芳)が建てたアトリエ、芥川龍之介が逗留した部屋、吉右衛門が疎開してきて使った部屋、市川左団次や虚子の句会の様子、靫彦・沐芳・吉右衛門が義兄弟を誓った当時の写真、岡本綺堂が逗留して「修禅寺物語」を書いたときの様子などなどである。
 吉右衛門と新井旅館との関係はこうだ。
彼が子供のころ、父親(中村歌六)によく連れて行ってもらった日本橋の料亭に、新井旅館の娘「つる」が見習いに来ていた。吉右衛門は「新井の姉さん、姉さん」といってなついていた。役者になってから、これが縁で修善寺まで湯治にきたものだが、この「つる」と結婚したのが寛太郎(沐芳)であった。沐芳は美術学校卒で大観と同窓であった。旅館経営者となったが、美術・芸術への志は厚いものがあり、これぞと思った有能な画家・作家・役者への思い入れと支援は、並大抵のものではなかった。新井旅館に膨大な数の書画や書簡・写真が残されているのは、このためである。
 吉右衛門は家族連れでよく泊まりに来たが、早春は観梅、春は蕨取り、夏も秋も冬もそれぞれ趣向を凝らした沐芳・つる夫妻のもてなしを満喫したのであった。

   紅梅やここにも少し残る雪
   鶯の鳴くがまゝなるわらび狩(修善寺梅林句碑)

 功成り名遂げた人にも弱点はあるようだ。吉右衛門は雷が大嫌いだったらしい。雷が鳴ると、奥の部屋に駆け込んで小さくなっていたそうだが、それでも止まないと、さらに奥まった別の部屋へ逃げ込んだそうだ。大きな旅館だから許されたのであろう。
 新井旅館の「双皎山荘」が梅林にある。ここを吉右衛門と沐芳がよく訪れたようだが、世話役の媼の回顧談がある。

吉右衛門さんが新井にござらしたのは新井の先代が芝居通で団十郎を贔屓にしてござらしたが、吉右衛門さんの芸をみて、いまに団十郎を継ぐ人だと、夢中で応援しているうちに親しくなったもんずら。よく新井にござらした。戦争中は芝居が出来なくなったので奥さんとふたりで新井に疎開してござらした。そして二人で山菜などを摘んでは山荘にやって来てわたしが山菜料理を作ってあげたもんだ。吉右衛門さんは新井の旦那とよく山駕籠に乗ってござらした。二人で謡をやって、帰るときまた山駕籠で帰るが、その時新井の旦那が『お伴がお駕籠で御案内』と芝居の台詞でやると吉右衛門さんがちゃんと所作までつけて『婆ちゃん達者でまた来るよ』と舞台のような調子でやる。千両役者の狂言を一人で見物させて貰ったのは私だけずら・・・。

 沐芳は昭和二十年に、吉右衛門は二十九年に亡くなっている。吉右衛門の辞世の句は、次のとおりである。

   庭草のしげるがままの雨月かな
    
 平成十六年の台風二十二号は伊豆半島を直撃した。普段は清々しい渓流である桂川が氾濫した。桂川の清流を満喫できるように建てられている新井旅館は、まともに被害を受けてしまった。吉右衛門や龍之介が逗留した部屋、小津安二郎の映画の撮影に使われた部屋など、懸命の復旧作業の結果、見事に復旧されていた。

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