昭和・平成を詠んで(2) 伊丹三樹彦さん

 小生の「昭和・平成を詠んで」の2題目である。伊丹三樹彦さんを取材した。その(1)は小原啄葉さんで、先のブログ(9月6日)に掲げた。宜しかったらご覧下さい。

 この度の伊丹さんの記事は、「円錐」への掲載が了承されていたのだが、前後して伊丹啓子さんの「青群」にも掲載を、との申し出があり、筆者は「円錐」が初出であることを明記するという条件で申し出を了解した。この8月31日に「円錐」が予定より遅れて刊行され、9月1日に「青群」が発刊された。両誌の発刊日が近接してしまったが、事情はご賢察頂きたい。


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 全文を以下に掲載します。敬称を略しておりますこと、ご了承下さい。


 伊丹三樹彦は、昔から俳壇の「異端児」あるいは「革新児」と呼ばれていたことを隠さない。現在、95歳の氏は、尼崎市に住み、毎日、俳句とエッセイ執筆を欠かさない。
 筆者愛好の句は、次のような句である。

   長き夜の楽器かたまりゐて鳴らず        『仏恋』
   いつも誰かが 起きてて灯してて 落葉の家  『樹冠』
   古仏より噴き出す千手遠くでテロ         『樹冠』

 俳句を始めたのは昭和10年で15歳のときだった。俳誌「水明」に投句し、長谷川かな女の選を受けた。昭和12年には日野草城の「旗艦」の句会に初参加し、神生彩史らを知る。草城との初対面は、昭和13年で18歳の時の「旗艦」月例句会。20歳で兵役検査乙種合格、16年に高槻の工兵隊に入隊。この年、「旗艦」は新興俳句弾圧のあおりを受けて終刊した。
 戦後、昭和20年10月、日野草城を豊中市桜塚に訪ね、俳壇復帰を懇請するも、取り敢えず、ガリ版刷りの同人誌「まるめろ」を立ち上げる。「旗艦」の後継誌が実現するのは昭和24年10月のこと。俳誌名は「青玄」であった。爾来、三樹彦は草城一筋に俳句の道を歩む。昭和31年1月、草城永眠。「青玄」の発行人は従前通り三樹彦が務める。
 この後、国内外を東奔西走、旺盛な俳句・写俳活動を続けていたが、平成17年7月、静岡の句会に出講中脳梗塞で倒れる。入院、リハビリ通院の末、奇跡的快復。「青玄」六百号記念祝賀会に出席、全員が祝意を表した。翌平成18年1月、「青玄」は607号にて終刊。同9月、後継誌として季刊誌「青群」が長女の伊丹啓子を編集発行人として創刊。三樹彦は顧問となる。
 三樹彦の句集や写俳集は数限りない。大部な『伊丹三樹彦全句集』は、続編を含めて豪華そのもの。また写真術はプロ並である。書も立つ。
 俳句業績の顕彰も数多く、第三回現代俳句大賞を平成15年に受けた。
 平成26年12月、最愛の妻で俳人・詩人であった伊丹公子長逝。

筆者は、平成27年2月、尼崎市の氏のご自宅を訪ねた。とても異端児や革新児のようには見えない人懐こい振舞の髭の豊かな氏であった。こまごまとした世事を超越し、好きな俳句に、残る人生の全時間を捧げている三樹彦氏に、斯界の大先輩としての、歯に衣着せぬ俳論を伺うのが目的であった。

―――まず手始めに師であられた日野草城について伺います。草城が虚子に破門され、その後許されますね。一般には、草城が涙ながらに喜んだ、となっていますが、実際はどうだったんでしょうか? 内心許されなくともという感じはなかったのでしょうか。ごくお近くに居られての印象は?
三樹彦 喜んでおられましたよ。そのときの句に、「虚子先生を草舎に迎ふ」との前書きつきで3句ありますよ。

  新緑や老師の無上円満相
  先生の眼が何もかも見たまえり
  先生はふるさとの山風薫る

筆者注 三句目には啄木の短歌を引いて「ふるさとの山にむかひていふことなしふるさとの山はありがたきかな」との前書きがある。
三樹彦 俳句に関する考え方の違いはあっても、師は師であるとの気持が強く、感激の対面だったですね。 
筆者注 昭和11年10月、36歳で「ホトトギス」を除名された草城は、約20年後の昭和30年1月、55歳にして、再び同人に推されている。阿部みどり女、長谷川かな女ら47名の一人とし、草城もこれに加えられたのである。推挙の「社告」には虚子の次の一節がある。

「今度また、新たに同人に推薦したのは、曾て推薦すべく或る事情でしなかった人、又一度同人であった人が、ある事情でそうで無かった人、等を推したのである。併し後に言った方は今更といって快く思はない人があるかもしれん。さういふ人があれば早速取消す。現に推しても多分迷惑であらうと推量した人は推さなかったのである」
 草城と同時に除名された杉田久女は既に他界していたが、吉岡禅寺洞は健在であった。しかし復帰を許されていない。このときのことを禅寺洞は次のように回顧している。

「草城君は、私と連座でホトトギス同人を除名されたが、生前復帰させられた。これは病草城に対する虚子翁の恩愛とでもいうのであろうが、ホトトギス同人を除名された理由の一つである無季俳句を(草城君は)枉(★→ま★)げなかった。そこに彼の内剛が、信念が、ある。彼はその信念までもすてて、ホトトギスへの復帰をしたのではない。彼の復帰は、たとえ虚子翁の仕打ちがどうであろうとも、恩師とする虚子翁に対する、彼の人間的な思いによるものでなければならないであろう。彼の意志が病弱に負けたとは、私は思わない」

三樹彦 俳句観は俳句観として、師は師として、草城はそう受け止めていましたね。特に無季俳句を容認する考えは変わっていませんね。私もね、俳人協会元会長の安住敦や幹部の岸風三楼らに協会に参加するよう直接慫慂されましたが、会規として無季俳句を作るものは入会御免でしたから、参加しなかったんですよ。私は尼崎の公民館活動の一環で俳句教室を持っていましたが、そこで子供たちに俳句を教えることもありました。無季俳句もあったんです。ある日、それを聞いていた父兄がいましてね、「こんな俳句を教える講師は困る」って抗議を受けましたよ。
―――俳句で、まずはじめに必要なのは五七五の「定型」ですね。表記は一行書きでも、三樹彦先生のような分かち書き(切れ間表記)でも、重信の多行表記でもいいですよね。私見ですが、その次の約束が「季語」だと思って良いでしょうか? この約束は「定型」よりはおおらかで、場合によっては無季でも超季でも良い。先生のお考えも、そう考えて宜しいでしょうか?
三樹彦 そうですよ。俳句は「十七音詩」なんです。これに尽きますね。季語が絶対無きゃならないという現在の俳句の世界は右傾しすぎています。私は、昔も今も闘ってきています。この間「宇宙」という雑誌を戴きましてね、山口誓子系の結社ですね。それがね、誓子の俳句観を再録していました。それによれば、俳壇は三部制の展覧会だ、と言っていますね。
 第一部が伝統俳句。有季ですね。第二部は超季俳句。第三部は自由律だ、と言うんですよ。今は、第一部が圧倒的に流行している。昔はね「ホトトギス」は総合誌などでは非流行だったんです。ホトトギスの作家はあまり採用されなかった。それが今は反対に隆盛ですね。たとえば、今は、私なんかは無視されている。その原因を考えれば、季題制度で、出版社の歳時記が売れる。歳時記が無くても俳句を作れる私たちは冷遇される。私たちは季語が無くても詩語があれば作れますからね。
 日野草城が死んだとき、新聞社が草城の俳句業績を誓子に訊きました。誓子は「草城の遺産ははみだし仕事だ」と言いました。つまり、誓子は超季を認めていたんですね。誓子自身は超季を遣りませんでしたが、理解者でした。
―――誓子は戦火想望俳句を奨めていましたね。ところで、俳人協会は有季を社是としていますから、それはそれで立派な思想・見識だと思うのですが、現代俳句協会は今の状態で宜しいのですかね。金子兜太先生や宇多喜代子先生のお考えをお聞きしたいですね。
三樹彦 兜太さんも選では比較的伝統俳句的なのも取っていますが、季題の有無は問うてはいません。宇多さんは、片山桃史の研究が有名ですよ。桃史といえば草城の弟子ですから、無季に対する理解は十分ありますよ。
筆者注 このインタビューの後、筆者は、金子兜太氏の最近の文章に接した。その趣旨を引用しよう(「俳句」平成27年4月号)。

鈴木六林男の〈暗闇の眼玉濡さず泳ぐなり〉を無季句だと書いたら、「泳ぐ」は季語だと叱られた。その後、いやあれは無季の句として読むべきで、その方がインパクトがある、という意見をいただいた。
「泳ぐ」を季語として読むか、小生(兜太)の言い方では「事語」として読むかということだが、結論は、そんな算術のような読みではなく、「詩語」で読めばよい、と小生はいま思い定めている。
季語だけにこだわり、これを世界にひろめたいと言いふらしている人の浅はかさを笑いたくなる。少くも欧米の人の詩への関心は、俳句のような「極力短い詩」にあるのではないか。
大須賀乙字は季感を形成する中心的景物を「季語」とする、という新しい定義を下した。これに「事語」を加えて、俳句の創り出した「詩語」としたいのである。

筆者注 この意見に三樹彦氏も意を強くされるのではなかろうかと思い、問い合わせた。氏は次のようにコメントしてくれた。

三樹彦 私は「超季以て俳句は世界の最短詩」のスローガンで日本文化を輸出したいのです。とにかく、一般の結社の先生たちは、時代の流れのままになっているんですなあ………。いやあ、私は無季ではないですよ。超季ですよ。今度ね、私の海外詠ばかりの句集を出版しましたが、全部超季俳句ですよ。題して「海外俳句縦横」で、その多くは無季句です。海外の俳人たちは無季が多いですよ。俳句の世界遺産化が言われていますが、議論するにはいい機会ですね。
―――もう一つ、最近読んだ面白い論を紹介させて戴きます。それは「連衆」平成27年2月号の巻頭言(五島高資氏による)であります。

 高浜虚子は『俳句の進むべき道』において、「俳句」の必要条件は「十七文字」「季題趣味」であると唱導した。もっとも、これに潁原退藏は「俳諧は本来決して季感文藝ではない」と反論している。つまり、今日における「有季定型」を金科玉条とした「俳句」とは、虚子が勝手に定義した一流派の俳句に過ぎないのである。こうした近代俳句が定着してそろそろ百年を迎えようとしている現在、もう一度、私たちは「俳句」とは何かという根本に立ち返らなければならない時期に来ているのではないだろうか。
筆者注 以下要約すれば、①五七五を基本とする韻文形式 ②詩語の連想性と文化的共有感覚からの詩的創造性 が基本であり、現在の弊害は ③旧態依然とした「結社制度」にある、と厳しく批判する。

三樹彦 そうですね、結社は同人誌的要素を加えることで改良できる。でなくては新しい作者を作り得ないですよ。「青群」は半結社・半同人誌の融和と伊丹啓子は称えています。
―――幼少の頃から反骨精神旺盛だったようですが………。
三樹彦 思い出せば大きく3回反抗しましたね。父親とは確執がありましてね。第一回目は、私は旧制時代でしたから神戸一中などの中学校へ行きたかったんですが、親父は実学が良いといって工業学校に行かされた。それで、あんまり勉強しないで俳句ばっかり遣った。二回目は、親爺からお前の嫁は決まっている、と言われて反抗。伊東きみ子(伊丹公子)と結婚。お蔭で3女と孫4人に恵まれ、仕合せな家庭だった。三回目は、軍隊で上官の命に従わず部下を自由にしていたので、お前の部下たちは使い物にならないと叱られ、炊事係にされてしまった。決して撲らなかった。
 こんな性格だから、俳句の世界でも反骨が目立ったと思う。「俳句界の異端児」とか言われたり、無視されたりしましたね。でも一貫して、俳句は「十七音詩」で「超季」の立場は変わらないですよ。今は、ホトトギスの非現代的なルールが蔓延しているだけです。ルールに縛られるのが好きな人と、そうでない人との差ですかね。ルールに従えば、つまり、季語があれば俳句になる、ということはありますがね………でも、安易に季語を入れて俳句だと安心するのは如何なものでしょうかね。
 無季と超季は異なります。有季・無季を問わないのが超季です。なお、表記の分ち書きですが、字間空けの所を、私は切れ間と表現しております。切字の「や」「かな」「けり」を使わなくても、切れ間がある、という訳です。なお、口語文体も現代語文体として語りたい。
 さらに、俳句運動には、別途、写真、書道、音楽、朗読とのコラボによる方法もあります。私は写俳、書俳、音俳、誦俳と呼称し、実行しています。写俳亭の別号を持つ通りです。俳句オンステージも既に実演している通りです。なお、伊丹公子は俳句と詩の両面創作をしました。私も詩や短歌や川柳の影響を受けています。それらのコラボですね。
 私は、異端児と言われながら、実は、正統児だと自負しているんですよ。
―――現俳壇に物申すというような強いメッセージを戴きました。有難う御座いました。これからも、ご健勝にて、多様な俳句活動を期待しております。

追記 三樹彦先生からのメッセイジ

今昔の仲間         伊丹三樹彦
 俳句は庶民文学である。難解詩ではない。芭蕉や蕪村の古典句でも、さして難しくはない。新興俳句運動の指導者だった日野草城も自句集の再版時は、漢字を仮名書きにする作業をされた。私は表記の分ち書きを敢行した。棒書き表現よりも一般読者に理解し易い方法を採ったのだ。書家からも先ず賛成の声を聞いた。書家は俳句を揮毫するに当って、正しい読解が必要だからである。文語表現もなるべくは口語(現代語)で行いたい。季語の有無も気にしない。無季でなく超季である。世界の最短詩として、外人にも興味を持たれる俳句の現在は定型詩一本でよろしい。春夏秋冬のない国は多いのだ。季を越える俳句は海を越えても作られるのだ。彼らは花鳥風月に終始する日本人より、ずっと自由な新精神で俳句を愛するのだ。私は『海外俳句縦横』なる句集を出したばかりである。もう一つは『存命』なる句集で、これには超季俳句の一章を巻初に据えた。私は脳梗塞で倒れたため、半世紀も編集発行した「青玄」を降りて涙した。しかし、俳句のお蔭で、今回の取材などを通じ新しい理解者にも巡り合った。これを掲載する「円錐」の澤氏は、昔の仲間で嬉しい存在だ。


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