中塚久恵句集『一夜庵』十句鑑賞
中塚さんの第二句集『一夜庵』(平成二十七年十一月、文學の森刊行)には、筆者(=栗林)の好みの句が多かったが、その共鳴句四十句ほどからさらに十句を選び鑑賞しよう。
中塚さんは香川の生まれで、山口誓子に師事し、のち鷹羽狩行の「狩」に入会、平成五年には島村正主宰の「宇宙」に依った。一貫して誓子門下といえる。句柄もその通りに思える。序文は島村「宇宙」主宰、跋文は中塚さんの先輩の岡本虹村氏。
中塚さんの自選句は、
星座みな瞬き年を惜しむなり
黎明の星響き合ふ誓子の忌
しかばねの出づる脇門明易し
月よりも連山遠く横たはる
生けるものあり枯蓮の水うごく
わが歩々に塔も寄り来る露しぐれ
裸木となりし老樹の面構へ
一切の枯れひとすぢの川涸るる
白骨とおもふ流木風死せり
大南風うけ高々と登檣礼
であり、確かな写生の目を感じさせる。句柄も実に端正である。
さて筆者の共鳴十句は、
032 美酒一壺油のごとき良夜かな
061 鎌挙げしまま風葬の枯蟷螂(○)
062 寒灸も死も畦またぐほどのこと
073 みだらなることも宣らせり里神楽(○)
086 雛の間をよぎり数多の視線浴ぶ
103 代掻きて太陽も泥まみれなる(◎)
123 星屑と思うて拾ふさくら貝(◎)
136 ご母堂と呼ばれて回す秋日傘(○)
161 いま植ゑし早苗溺れんばかりなる
179 月よりも連山遠く横たはる(*)(◎)
であり、(*)印の一句が氏の自選句と重なった。また、岡本氏の鑑賞句とは(○)印の三句が一致した。序文で島村主宰は実に多くの佳句を挙げられたが、筆者とは(◎)印の三句が一致した。筆者の基準は多少眇なのかも知れないが、正直な選をして、これだけ重なれば嬉しい限りである。
さて、第一句。〈032 美酒一壺油のごとき良夜かな〉、名月の下、壺の銘酒がとろりと清澄な油のように見える。この小さな景から、何故か筆者は、静まり返った、四国のある入り江が、名月に映えている様を想像した。考え過ぎであろうが、作者のお住まいの場所柄なども、ついつぃ、想像してしまうのである。
二句目。〈061 鎌挙げしまま風葬の枯蟷螂(○)〉、「風葬」とは良く言ったもの。あわれ感がよく出ている。因みに、筆者の俳句の先輩である平井さち子さん(元「萬緑」の同人会長)は、枯蟷螂の生物学的知見に詳しい。けっして緑色のカマキリが枯色になる訳ではなく、もともとそういう種類なのだ、と言うのだが、詩としては、やはり秋が深まってカマキリが枯れてしまったのだ、と思ったほうが良さそうである。
三句目。〈062 寒灸も死も畦またぐほどのこと〉、めずらしく写生句的でなく、想念を書いた。だが、言いえていて妙である。「寒の灸」はちょっと決心がいるのだが、「畦をまたぐ」ほどのことだという。「死」さえそうだと思えないこともない。
四句目。〈073 みだらなることも宣らせり里神楽(○)〉、ときどきこのような軽い句が出てくると、筆者は喜んで取る。土着の唄や踊には、生命の根源に大らかにふれるものがある。それを里人が観ながら笑いこける。健康的である。
五句目。〈086 雛の間をよぎり数多の視線浴ぶ〉、「雛の間」を通り抜けるとき、雛人形たちの視線を背に感ずる。微妙な感覚を詠った。うまい句。
六句目。〈103 代掻きて太陽も泥まみれなる(◎)〉、「代掻き」の際、水に映る「太陽」はまさに「泥まみれ」であろう。この句は、現場で確かに見てできた句である、という安心感を読者は共有できるのである。
七句目。〈123 星屑と思うて拾ふさくら貝〉、「星屑」と「さくら貝」で甘美な抒情性一杯の句となった。海の水もこころなしか温んできている。
八句目。〈136 ご母堂と呼ばれて回す秋日傘(○)〉、誰に「ご母堂」と「呼ばれ」たのであろうか? 間接的に呼ばれたのかも知れないが、多分、若くて大事な人からなのであろう。つい、読者も嬉しくなる。
九句目。〈161 いま植ゑし早苗溺れんばかりなる〉、写生句である。「溺れんばかり」の描写がうまい。
最後の句。〈179 月よりも連山遠く横たはる(*)(◎)〉、中塚さんの自選と、島村主宰の選、筆者の選が重なった句。月が近く大きく見えて、むしろ山が遠くに見える。確かに目にはそう見える。なかなか気がつかないところに気がついて、詠んだ。それだけ、月が綺麗であったともとれる。
大急ぎで鑑賞したが、中塚さんの豊かな俳歴が自ずと発揮されている作品ばかりである。巻末の履歴からは、六十年の永きに亘って研鑽されたことが分かる。実に丁寧に端正に詠まれて出来上った句集である。
中塚さんは香川の生まれで、山口誓子に師事し、のち鷹羽狩行の「狩」に入会、平成五年には島村正主宰の「宇宙」に依った。一貫して誓子門下といえる。句柄もその通りに思える。序文は島村「宇宙」主宰、跋文は中塚さんの先輩の岡本虹村氏。
中塚さんの自選句は、
星座みな瞬き年を惜しむなり
黎明の星響き合ふ誓子の忌
しかばねの出づる脇門明易し
月よりも連山遠く横たはる
生けるものあり枯蓮の水うごく
わが歩々に塔も寄り来る露しぐれ
裸木となりし老樹の面構へ
一切の枯れひとすぢの川涸るる
白骨とおもふ流木風死せり
大南風うけ高々と登檣礼
であり、確かな写生の目を感じさせる。句柄も実に端正である。
さて筆者の共鳴十句は、
032 美酒一壺油のごとき良夜かな
061 鎌挙げしまま風葬の枯蟷螂(○)
062 寒灸も死も畦またぐほどのこと
073 みだらなることも宣らせり里神楽(○)
086 雛の間をよぎり数多の視線浴ぶ
103 代掻きて太陽も泥まみれなる(◎)
123 星屑と思うて拾ふさくら貝(◎)
136 ご母堂と呼ばれて回す秋日傘(○)
161 いま植ゑし早苗溺れんばかりなる
179 月よりも連山遠く横たはる(*)(◎)
であり、(*)印の一句が氏の自選句と重なった。また、岡本氏の鑑賞句とは(○)印の三句が一致した。序文で島村主宰は実に多くの佳句を挙げられたが、筆者とは(◎)印の三句が一致した。筆者の基準は多少眇なのかも知れないが、正直な選をして、これだけ重なれば嬉しい限りである。
さて、第一句。〈032 美酒一壺油のごとき良夜かな〉、名月の下、壺の銘酒がとろりと清澄な油のように見える。この小さな景から、何故か筆者は、静まり返った、四国のある入り江が、名月に映えている様を想像した。考え過ぎであろうが、作者のお住まいの場所柄なども、ついつぃ、想像してしまうのである。
二句目。〈061 鎌挙げしまま風葬の枯蟷螂(○)〉、「風葬」とは良く言ったもの。あわれ感がよく出ている。因みに、筆者の俳句の先輩である平井さち子さん(元「萬緑」の同人会長)は、枯蟷螂の生物学的知見に詳しい。けっして緑色のカマキリが枯色になる訳ではなく、もともとそういう種類なのだ、と言うのだが、詩としては、やはり秋が深まってカマキリが枯れてしまったのだ、と思ったほうが良さそうである。
三句目。〈062 寒灸も死も畦またぐほどのこと〉、めずらしく写生句的でなく、想念を書いた。だが、言いえていて妙である。「寒の灸」はちょっと決心がいるのだが、「畦をまたぐ」ほどのことだという。「死」さえそうだと思えないこともない。
四句目。〈073 みだらなることも宣らせり里神楽(○)〉、ときどきこのような軽い句が出てくると、筆者は喜んで取る。土着の唄や踊には、生命の根源に大らかにふれるものがある。それを里人が観ながら笑いこける。健康的である。
五句目。〈086 雛の間をよぎり数多の視線浴ぶ〉、「雛の間」を通り抜けるとき、雛人形たちの視線を背に感ずる。微妙な感覚を詠った。うまい句。
六句目。〈103 代掻きて太陽も泥まみれなる(◎)〉、「代掻き」の際、水に映る「太陽」はまさに「泥まみれ」であろう。この句は、現場で確かに見てできた句である、という安心感を読者は共有できるのである。
七句目。〈123 星屑と思うて拾ふさくら貝〉、「星屑」と「さくら貝」で甘美な抒情性一杯の句となった。海の水もこころなしか温んできている。
八句目。〈136 ご母堂と呼ばれて回す秋日傘(○)〉、誰に「ご母堂」と「呼ばれ」たのであろうか? 間接的に呼ばれたのかも知れないが、多分、若くて大事な人からなのであろう。つい、読者も嬉しくなる。
九句目。〈161 いま植ゑし早苗溺れんばかりなる〉、写生句である。「溺れんばかり」の描写がうまい。
最後の句。〈179 月よりも連山遠く横たはる(*)(◎)〉、中塚さんの自選と、島村主宰の選、筆者の選が重なった句。月が近く大きく見えて、むしろ山が遠くに見える。確かに目にはそう見える。なかなか気がつかないところに気がついて、詠んだ。それだけ、月が綺麗であったともとれる。
大急ぎで鑑賞したが、中塚さんの豊かな俳歴が自ずと発揮されている作品ばかりである。巻末の履歴からは、六十年の永きに亘って研鑽されたことが分かる。実に丁寧に端正に詠まれて出来上った句集である。
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