長谷川玲子句集『洗心』鑑賞

 長谷川玲子さんの句集『洗心』(文學の森、平成二十八年三月刊行)を鑑賞する機会を得た。著者は大正十四年生まれなので、九十一歳。「七曜」「天狼」に属し、山口誓子の膝下で学んだ。誓子没後、悶々としていたが、誓子につながる島村正主宰の「宇宙」に参加し、今回の句集上梓に至った。島村主宰の懇切な序文がある。
 誓子・島村の流れから来る端正な叙景・叙物句が多い。


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自選の十句は次の通り。

  除雪夫が帰りて雪の底に寝る
  かまくらの中鉄瓶の湯がたぎる(*)
  耕しの一鍬ごとに胎動す
  一切を忘れ蹤きゆく寒砂丘
  春光の充つ岬端に誓子句碑
  軒低き旧街道に菖蒲葺く
  新茶一服洗心の刻過ごす(*)
  天よりも地よりも灼くる遭難碑
  寒林を脱兎のほとく走りたし
  今日あるを嬉しと仰ぐ花万朶

(*)印は筆者(=栗林)の抽出句と一致したもの。
 筆者は例によって多くの佳品の中から、どちらかというとエスプリの効いた、ドラマ性のある、境涯的な作品を選んでしまったかも知れないが、次の十二句を選んだ。ごく簡単に鑑賞しよう。

022 金賞の菊より先に水注ぐ
039 喪の家の前パラソルを下げ通る
060 七五三父は普段の背広着て
061 看護婦が聖樹の雪を取り替へる
083 大熊手売約済の札も大
086 救命具着けて乗りたる花見舟
088 かまくらの中鉄瓶の湯がたぎる
099 はるばると来てすぐ帰る墓詣
108 大幟立てて本家のゆるぎなし
110 帰省するごと父母の小さくなる
116 飛火して咲く喪の庭の曼珠沙華
134 新茶一服洗心の刻過ごす

 一句目。〈金賞の菊より先に水注ぐ〉は、出来の良い菊を大事にするという気持ちというか、人情が、俗っぽいながらも、よく詠まれている。面白い。
 二句目。〈喪の家の前パラソルを下げ通る〉もその通り、作者の人情が現れている。喪の主人公は、必ずしも作者の知人ではないのだろう。だからこそ、この句の気持ちが分かる。
 三句目。〈七五三父は普段の背広着て〉。父はよそ行きの服に替える時間が無かったのか、あるいは、すぐに仕事に戻らねばならなかったのであろう。忙しい父にとって、七五三でも日常から離れられないのである。何のことはない素直な描写にペーソスを感じ、好感をもった。
 四句目。〈看護婦が聖樹の雪を取り替へる〉。クリスマスツリーの雪は綿で出来ているのであろう。永年飾ってきたのか、すこし汚れている。看護婦が(看護士ではない)が、真っ白い綿に取り替えている。一句の背景にいろんなことが潜んでいそう。
 五句目。〈大熊手売約済の札も大〉。よく気がついた。これも世間の人情で、第一句目と同じ感覚である。面白い。
 六句目。〈救命具着けて乗りたる花見舟〉。皮肉である。そこまでしなくても良いと思うのだが、そうしないと、船会社にとってルール違反となるのだ。無粋だが止むを得ない。
 七句目。〈かまくらの中鉄瓶の湯がたぎる〉。実際にあった景なのであろう。かまくらが溶けてしまいそうで気になるが、湯の湧いている場所は団欒の中心ともなるのである。
 八句目。〈はるばると来てすぐ帰る墓詣〉。上手い。これも世の習い。義理を果すことが、故人をじっくり偲ぶことより、つい優先される。忙しい近現代である。
 九句目。〈大幟立てて本家のゆるぎなし〉。これは確りした句。旧家の貫禄が「大幟」で表出されている。長谷川さんにはこのような句柄の作品が多い。
 十句目。〈帰省するごと父母の小さくなる〉。誰にでもこの実感があるであろう。「ごと」は「度」でも良いか?
 十一句目。〈飛火して咲く喪の庭の曼珠沙華〉。曼珠沙華の赤を「飛火」とは、上手く言えた。「喪の庭」でなくても良いのかも知れない。
 十二句目。〈新茶一服洗心の刻過ごす〉。この句集の表題となった一句。『洗心』とはよい言葉を島村主宰が選んだものだと、感心した。

 こうして見ると、筆者は長谷川さんの多くの格調の高い作品から、敢えて変わった句柄のものをえらんだような気がして、申し訳ないのだが、ついでにもう一句。

〈142 敬老日一日のみの上座かな〉。これもエスプリの効いた、皮肉っぽい一句。だが、繰り返しになるが、長谷川さんの作品は「宇宙」の人々の作風に違わず、確りした、格のある、叙景・叙物句が多いのである。

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